
「また売上データと請求書の金額が合わない。今月3回目の差額調整作業だ」「営業部から『急ぎで見積書を作ってほしい』と言われたが、過去の原価データを探すのに1時間もかかった」「月末締め作業で毎回徹夜になるのに、『DXで効率化しましょう』と言われても、何から始めればいいのかわからない」
中小企業の経理担当者なら、このような悩みを日常的に抱えているのではないでしょうか。「DXが必要」という声は経営陣からも聞こえてくるものの、限られた予算と人員、そして既存業務の忙しさの中で、具体的にどう進めればよいかがわからないのが現実です。
しかし、同じような課題を抱えた中小企業の経理部門が、適切なDXアプローチにより劇的な改善を実現した事例があります。一方で、準備不足や方向性の誤りにより、かえって業務が複雑化してしまった失敗事例も存在します。成功と失敗を分ける要因は何なのでしょうか。実際の事例を通じて学んでいきましょう。
成功事例1:製造業A社の段階的DX導入による業務革命

従業員数45名、年商12億円の部品製造業A社では、経理担当者の山田さん(仮名)が中心となってDX化を推進し、経理業務を根本から変革しました。
導入前の課題:混乱する数字の世界
A社の経理部門は山田さんを含む2名体制でしたが、日々の業務に追われ、本来の経理業務である分析や改善提案に時間を割けない状況が続いていました。
山田さんが直面していた課題
- 製造現場からの材料費報告が手書きのため、解読に毎日30分を消費
- 営業部門の売上データと経理の請求データが月末に必ず不一致
- 在庫管理システムと会計システムが連携しておらず、手動で転記
- 月次決算業務に10日間を要し、経営陣への報告が遅延
- 税理士への資料準備に月20時間を費やし、他業務が圧迫
- 予算実績対比資料の作成に毎月丸2日を消費
山田さんの悩み
「毎日数字を追いかけているだけで、なぜその数字になったのか、どう改善すべきかを考える時間がありません。経理として会社に貢献したいのに、作業に追われるだけの日々でした」
DX導入のきっかけと戦略
転機となったのは、銀行からの融資審査で「月次決算の迅速化」を求められたことでした。現状のままでは融資条件が不利になると判断した山田さんは、経営陣にDXの必要性を訴えました。
山田さんの提案内容
- 現状業務の詳細な時間分析結果
- DX化による改善効果の具体的な試算
- 段階的導入による投資リスクの軽減
- 競合他社の対応スピードとの比較
段階的導入プロセス
A社では予算制約を考慮し、段階的にDXを進める戦略を採用しました。
第1段階:データ入力の自動化(1-4か月目)
まず、最も時間を消費していた手動データ入力の自動化から開始しました。
- 製造現場にタブレット端末を配置し、材料使用量を直接入力
- 営業部門の売上システムと経理システムを連携
- 銀行のネットバンキングデータを会計ソフトに自動取込
- OCR機能により紙の領収書を自動データ化
第1段階の効果
- データ入力時間:日2時間→日30分(75%削減)
- 転記ミス:月15件→月2件(87%削減)
- データの整合性:大幅向上
第2段階:承認フローの電子化(5-8か月目)
従来の紙ベース承認を電子化し、業務スピードを向上させました。
- 請求書発行の電子承認システム導入
- 経費精算のペーパーレス化
- 予算申請・承認のワークフロー化
- 契約書管理の電子化
第2段階の効果
- 承認時間:平均3日→平均半日(83%短縮)
- 書類の紛失:月5件→0件
- 承認状況の見える化:リアルタイム把握
第3段階:分析・レポート機能の強化(9-12か月目)
蓄積されたデータを活用し、経営支援機能を強化しました。
- リアルタイム売上分析ダッシュボード構築
- 原価分析レポートの自動作成
- キャッシュフロー予測システム導入
- 予算実績対比の自動化
劇的な改善効果
1年間のDX化により、A社の経理業務は劇的に変化しました。
定量的な改善効果
- 月次決算完了時間:10日→3日(70%短縮)
- データ処理時間:日4時間→日1時間(75%削減)
- 経理業務の残業時間:月40時間→月8時間(80%削減)
- 税理士対応時間:月20時間→月5時間(75%削減)
- 予算実績対比作成時間:2日→30分(96%削減)
- データの正確性:99%以上を達成
「DX化により、ようやく経理本来の業務である分析と提案に時間を使えるようになりました。経営陣からも『山田さんの分析資料が経営判断に役立っている』と評価をいただけるようになりました」(山田さん談)
失敗事例1:卸売業B社のシステム選定ミス

一方で、システム選定を誤ったために苦労した事例もあります。従業員数30名の卸売業B社での経験を見てみましょう。
失敗の始まり:機能重視の落とし穴
B社の経理担当者である田中さん(仮名)は、A社の成功事例を聞いて「うちも高機能なシステムを導入しよう」と考えました。しかし、自社の実情を十分に分析せずにシステムを選定したため、予想外の問題が発生しました。
選定時の問題点
- 現状業務の詳細分析を省略
- 高機能性を重視し、使いやすさを軽視
- 既存システムとの連携可能性を確認せず
- 従業員の習熟度を考慮しなかった
- 段階的導入ではなく一括導入を選択
発生した問題と混乱
導入から2か月で、深刻な問題が表面化しました。
システム面の問題
- 操作が複雑すぎて、従業員が使いこなせない
- 既存の在庫管理システムとデータ連携できず
- レポート機能が高度すぎて、必要な情報にアクセスできない
- システムの処理速度が遅く、業務効率が低下
- カスタマイズ費用が想定の3倍に膨らむ
業務への影響
- 月次決算時間:従来8日→12日に悪化
- データ入力時間:習熟不足により倍増
- エラー頻発により確認作業が増加
- 従業員のストレス増加により離職者発生
- 顧客対応の遅延によりクレーム増加
失敗からの学びと軌道修正
田中さんは問題を根本的に見直し、システムの部分的変更と運用方法の改善を実施しました。
改善策
- 現在の業務に本当に必要な機能のみを使用
- 不要な高度機能は無効化
- 段階的な機能追加による習熟促進
- 既存システムとの手動連携で暫定対応
- 定期的な操作研修の実施
半年後には安定運用に移行できましたが、当初の予定より大幅に時間とコストがかかりました。
「高機能なシステムが必ずしも良いわけではないことを痛感しました。自社の業務レベルと従業員のスキルに合致したシステム選定が最も重要だと学びました」(田中さん談)
成功事例2:サービス業C社の限られた予算での工夫

従業員数25名のサービス業C社では、厳しい予算制約の中で創意工夫によりDX化を成功させました。
厳しい予算制約との戦い
C社の経理担当者である佐藤さん(仮名)は、一人で経理業務全般を担当していました。DXの必要性は強く感じていたものの、年間IT予算は50万円以下という厳しい制約がありました。
制約条件
- 年間システム予算:50万円以下
- 人員増強は不可
- 既存の会計ソフトは継続使用必須
- 外部コンサルタントの活用は困難
- 業務停止期間は一切許可されず
工夫を凝らした段階的改善
佐藤さんは既存リソースを最大限活用し、段階的に改善を図りました。
第1段階:無料ツールの活用
- Google スプレッドシートで売上管理表を共有化
- 無料のクラウドストレージで書類の電子保管
- スマートフォンアプリで経費の写真管理
- メールベースの承認フローを構築
第2段階:低コストツールの導入
- 月額3,000円のクラウド会計サービス導入
- 月額2,000円の経費精算アプリ導入
- 無料期間を活用したOCRサービスの試用
- 既存ソフトとの連携機能を活用
第3段階:業務プロセスの最適化
- 月次決算スケジュールの見直し
- 定型業務のチェックリスト化
- エクセルマクロによる定型作業の自動化
- 関連部門との連携ルールの明文化
限られた投資で大きな成果
年間予算50万円以内で、以下の改善を実現しました。
改善効果
- 月次決算時間:7日→3日(57%短縮)
- 経費処理時間:月15時間→月5時間(67%削減)
- 書類探索時間:月8時間→月1時間(87%削減)
- データ入力ミス:月20件→月3件(85%削減)
- 残業時間:月25時間→月10時間(60%削減)
- 業務の標準化:大幅に向上
「限られた予算でも、工夫と継続的な改善により大きな効果を得ることができました。高額なシステムよりも、現場のニーズに合った小さな改善の積み重ねが重要だと実感しています」(佐藤さん談)
失敗事例2:建設業D社のセキュリティ軽視による情報漏洩

中小建設業D社では、セキュリティ対策を軽視したために深刻な情報漏洩事故が発生しました。
セキュリティ軽視の代償
D社の経理担当者である鈴木さん(仮名)は、利便性を重視してクラウドサービスを導入しましたが、セキュリティ設定を適切に行わなかったため、顧客情報と財務データが外部に流出する事故が発生しました。
問題のあった対応
セキュリティ面の不備
- パスワードを「123456」などの簡単なものに設定
- 全従業員に管理者権限を付与
- 二要素認証を設定せず
- データのバックアップを怠る
- アクセスログの監視を実施せず
- 従業員への情報セキュリティ教育を省略
事故の深刻な影響
情報漏洩により、以下の被害が発生しました。
事故の影響
- 顧客企業3社からの契約解除
- 損害賠償請求:総額1,200万円
- 新規受注の大幅減少(6か月間)
- 信頼回復のための追加投資:約400万円
- 従業員のモチベーション低下
- 金融機関からの信用失墜
事後の徹底対策
- セキュリティ専門家による全面監査
- 強固なパスワードポリシーの策定
- 多要素認証の全面導入
- アクセス権限の細分化
- 定期的なセキュリティ研修の実施
- 外部セキュリティサービスとの契約
成功事例3:小売業E社のAI活用による経理革新

従業員数60名の小売業E社では、AI技術を活用した先進的なDXにより、経理業務の質を根本から変革しました。
AI導入の背景
E社の経理部長である高橋さん(仮名)は、基本的な電子化を完了した後、さらなる効率化を求めてAI技術の導入を決断しました。
導入したAI技術と効果
機械学習による異常検知
- 売上データの異常値を自動検知
- 仕入れ価格の変動パターンを分析
- 在庫回転率の異常を早期発見
- キャッシュフローの異常パターンを特定
予測分析機能
- 月次売上の予測精度を向上
- 季節変動を考慮した在庫最適化
- キャッシュフロー予測の自動化
- 原価率変動の予測と対策提案
自動仕訳とOCR連携
- レシート・請求書の自動読み取り
- 仕訳パターンの学習による自動化
- 勘定科目の自動判定
- 消費税区分の自動設定
革新的な改善効果
AI導入により、従来のDX化を超えた効果を実現しました。
定量的な効果
- 書類処理時間:従来比85%削減
- 異常検知速度:従来比95%向上
- 予測精度:従来比40%向上
- 仕訳作業時間:従来比90%削減
- 月次決算期間:5日→1日に短縮
- 経営分析時間:月20時間確保
「AI技術により、経理部門が守りの部門から攻めの部門に変化しました。データの処理から分析・提案まで、経理の役割が根本的に変わったと実感しています」(高橋さん談)
事例から学ぶ成功と失敗の分岐点

これらの事例から、中小企業DXの成功と失敗を分ける要因が明確に見えてきます。
成功事例の共通要因
段階的アプローチの採用
成功事例に共通するのは、一度にすべてを変えるのではなく、段階的に改善を重ねていることです。
現状分析の徹底
自社の業務実態を詳細に分析し、本当に必要な改善ポイントを特定してからDXに取り組んでいます。
予算制約の現実的な受け入れ
限られた予算の中で最大の効果を得るため、創意工夫と優先順位付けを行っています。
継続的な改善姿勢
導入後も定期的に見直しを行い、継続的な改善を図っています。
失敗事例の共通要因
準備不足と性急な導入
十分な現状分析や計画策定を行わずに、性急にシステム導入を進めています。
機能偏重のシステム選定
高機能であることを重視し、使いやすさや自社の実情との適合性を軽視しています。
セキュリティ対策の軽視
利便性を優先し、情報セキュリティ対策を後回しにしています。
従業員教育の不足
システム導入に集中し、従業員への教育や支援を軽視しています。
経理担当者が知るべきDX成功の鉄則

これらの事例分析から、経理担当者がDXを成功させるための鉄則が見えてきます。
実践すべき5つのポイント
1. 現状の詳細分析から始める
どの業務にどれだけの時間を費やしているかを正確に把握し、改善の優先順位を明確にする。
2. 小さく始めて段階的に拡大
いきなり大規模なシステム導入ではなく、小さな改善から始めて徐々に拡大する。
3. 自社の実情に合ったツール選択
高機能よりも使いやすさと自社業務との適合性を重視する。
4. セキュリティ対策を最初から組み込む
利便性とセキュリティのバランスを取り、適切な対策を講じる。
5. 継続的な改善を心がける
導入後も定期的に見直しを行い、常に改善を図る。
まとめ:経理DXで実現する新しい働き方

これらの事例から明らかになったのは、中小企業の経理DXは決して不可能ではないということです。適切なアプローチを取れば、限られた予算と人員でも大きな改善効果を得ることができます。
重要なのは、技術ありきではなく、現状の課題解決ありきでDXに取り組むことです。高額なシステムや最新技術が必ずしも成功につながるわけではありません。自社の実情に合った現実的なソリューションを選択し、段階的に改善を図ることが成功の鍵となります。
また、失敗事例から学ぶことも重要です。同じ過ちを繰り返さないよう、事前の準備と慎重な計画立案を心がけてください。
DXの波は確実に中小企業にも押し寄せています。早期に適切な対応を取ることで、競争優位性を確保し、より働きやすい経理環境を実現できるでしょう。これらの事例を参考に、自社に最適なDX戦略を構築してください。
※本記事は2025年6月時点の情報と事例をもとに構成されています。実際の導入判断は、自社の実情を踏まえてご検討ください。